精神障がい者家族の会

しらぎく会について

家族の声

話し合うことを大切に~娘と向き合う母の想い~

発症した頃について

娘は大学に進学し、寮生活でした。今とは違って携帯電話も普及していない時代だったので、寮には公衆電話しかなく、娘から連絡してくることもなく、親から連絡することもそれほどありませんでした。大学3年の夏休み頃、夫と一緒に寮の近くまで出かける用事があり、ついでに寮を訪ねてみると、娘の様子が以前とは違い驚きました。気力も食欲もなく、今思うとうつの状態で、すごく痩せていました。すぐに実家に連れ帰り、娘は嫌がっていましたが、すぐに家から近い精神科病院を受診させました。薬が処方されて、飲んでいたのですが、自分でも回復しようと思って読んでいた宗教本の影響や、「精神の薬なんか飲んでたらいかん」という祖母の言葉の影響もあり、薬を飲んだり飲まなかったりしていました。通院を続けながら、一度は回復しアルバイトをしていたこともありました。

娘の病気とつき合って

うつ症状が改善し、元気になってきてよかったと思っていたら、どんどん元気になりすぎていろんなところに電話をしたり、帰ってこなくなりました。お店で暴れていると連絡が入り、夫と駆け付けると次の場所に移動していて、見つけたときには「月に迎えられたから行くんだ」と現実世界にいないようなことを言うので、なんとか車に引っ張りこんで病院に連れていき、そのまますぐに入院となりました。本来の娘の姿と違い、どうしていいか分からず、途方にくれていました。その後は10年以上入退院を繰り返していました。自宅に退院してきても、親も仕事があって家を空けることも多く、1人で留守番をしていました。ある時妄想もあったりして、身の安全が脅かされるという思いからフラフラと外に出てきた娘にびっくりして病院に連れていくということもありました。娘もマイナス思考になったり、病院スタッフへの好意もあって入院希望をすることも多く、経済的な負担もあり、入院せずに過ごす方法について、何度も娘と話し合うことがありました。病院の待合室ですれ違う他の患者さんをみていると社交的な方もいて、娘もあの方のようになってほしいなと思うこともありました。

海外での出来事

入退院の間にも、大きな出来事がありました。海外派遣協力隊に行きたいと言い、大阪まで1人でワクチン接種に行き、手続きもして、海外に行って帰ってきました。その1年後に今度はピースボート(世界一周クルーズ)に行きたいと言い、用意を始めていました。今思うと親の考えも甘かったのかもしれませんが、娘がやる気だったこと、以前も海外に行って無事帰ってきたこともあり、これを機に病気から立ち直ってくれればと思い、娘を送り出しました。娘は理想が常に先にあり、順序立てて計画的に考えるということができていなかったと思います。クルーズ船には内科医がおり、病気のことなどは伝えていました。船の中は閉ざされた空間で、しだいに内服しなくなっていきました。幻聴が悪化し、このままクルーズを続けることはできないのでインドまで迎えに来るようにと家族に連絡があり、当時はとても大変でした。私と夫がインドまで駆け付け、ボランティアの親切な日本人女性に出会い、その方に通訳してもらいながら、看護師にも迎えに来てもらって、なんとか日本まで戻ってくることができました。
 娘は妄想の影響で、「海に投げて殺される」「親は仮の姿をしている」と思っていたようで、こちらからの声かけにも反応がない状況でした。日本に戻ってからも、入院中に面会に行っても声かけに反応がなく、心が通じず辛かったです。おやつを持って行ったり、爪を切るだけでもと思い病院に通っていました。悩みは誰にも相談できず、夫も一緒に面会に行っている訳ではなかったので話しても分かってもらえないと思っていました。ある時、面会に行ったら、娘が猫の毛に気づきました。私の服にペットの猫の毛がついていたのでしょう。「これトラの毛や」と私の目をみて、本来の娘の表情で言いました。本当に嬉しかったです。これがきっかけで現実的な会話が少しずつできるようになったんです。

しらぎく会との出会い

最初の頃、何かにすがりたくて入会しました。仕事があり、なかなか集まりにでることができず足が遠のいていましたが、情報を得られるだけでもありがたかったです。お一人おひとり症状や環境、性格も違いますが、体験談を聴くことができるのは貴重でした。本でも読むことはできますが、同じ圏域の家族は身近に感じました。

私の変化・娘の変化

私自身もともと口数が少ない方です。日曜日も仕事が忙しく、夫も私も家にいませんでした。娘が精神疾患になった頃は、もっと娘のいいところを引き出してあげたり、もっと話を聞いてあげていればよかったのではないかと自分を責め、泣くこともありました。職場の人に娘のことを話したら、「精神科にかかってるなんて言わない方がいい」と言われてしまい、悩みを誰にも言えませんでした。娘のことをもっと褒めてあげられるとよかったのかもしれないですが、そのような接し方が私には難しかったのです。
 娘も歳を重ねていく中で、何に対して怒っていたのかなど後から親に話すようになりました。話し合うことは大事だと思います。今でもインドでの出来事のこともたまに話したりしますが、大変だったこともいい経験となっているのではないかなと思います。

現在は・・・

今はやさしい彼氏もいて、週に数回は一緒に出かけたり、ご飯を作って食べたりしています。私や夫とも一緒に出かけたり、旅行もしたことがありましたが、娘は疲れやすいので、今は私と夫だけで旅行に出かけています。娘も理解してくれていて、元気で旅行できるうちに旅行しておこうと思っています。私たちがいない時、娘は不安になったら病院や友達に相談の電話をしたりしているみたいですね。困った時の相談先も持っています。今の状況は幸せだと思うんです。

今後について

娘は障害年金をお小遣いにしていて、貯金ややりくりをしています。「もしも病気が治ったときのために」と、国民年金の保険料もかけられるうちは納めるようにしています。娘は最近また就労支援の利用を考えているようですが、どうなるでしょうか。親はだんだん年をとるのでこれからのことが心配ではありますが、今は昔と違って、情報を得ながら福祉に頼って、なんとかなるのかなと思っています。娘は相談先を持っていますし、相談できる人に話を聴いてもらえるだけでも違うと思っています。

幸(さち)の会へのご連絡
TEL.0761-72-5211
しらぎく会へのご連絡
TEL.0761-72-0880